来るべき”偶然”に備えておくために、まずは自分の地盤を整えるのが大事。ー五十棲 ...
2020.06.26
ニソクノワラジ
2020.07.17
ニソクノワラジ
皆さんは今、幸せですか?
阿佐ヶ谷姉妹のネタのような導入ですみません。カラムーチョ伊地知です。怪しい者ではありません。
この度、僕が企画・編集をしている『ニソクノワラジ』内の企画で、『幸福論ノオト』という企画をスタートさせました。
コンセプトは「”幸福”について見つめなおす」
この「見つめなおす」が今回の企画のキモになっていまして、”幸せの形”や”幸せになる方法”を提示するのではなく、あくまでインタビュイーの方々と、インタビューという議論を通して、“幸せ”の形について改めて考える、というのが目的です。
しつこいようですが、去年の10月、僕は病気になってですね。
https://note.com/ijichi/n/n023cda649af5
病気になって、『ペルソナ5』をやり続けるサイボーグとなった暗黒期に、改めて“幸福”について考えたんですよね。
“幸せ”ってなんぞや?
“人間が幸せ”である状態とはなんぞや?と。
幸せって、具体性を帯びていませんよね。幸せという概念自体は、真空的で、物理的じゃないな、と思ったんです。
だからその”幸せ”という、実態のないものを追いかけて、人間は苦しくなるんじゃないか。それが結果的に“生きづらさ”につながっているんじゃないか、と。ひいては、その”幸せ”を追い求めることによって、“不幸”を呼び寄せてしまう、なんて本末転倒的なことも起こりうる。
僕は病気になって”不幸”ではないものの、やっぱり“生きづらさ”を抱えたんですよね。行政的な保障、救済措置にはもちろん助けられましたし、周りの方々は優しい声をかけてくださり、僕を責めるような言葉はありませんでした。これには本当に感謝しています。
ですが、やはり、僕の心の奥底の根源的な部分、(『夜空ノムコウ』でいう所の「心の柔らかい場所」ですね)そこに“生きづらさ”があると感じたんですよね。
ある時、ふと、その”生きづらさ”の正体は「固定観念」なんじゃないかと思ったんです。
男なら、会社員じゃなないとダメ。
稼いでないとダメ。
キャリアビジョンを持っていないとダメ。
というような無意識下の固定観念が、僕を縛っていたんじゃないか。これは僕の人生で、実家で生活してい時に親に言われたことだったり、就活生だった時の風潮だったり、就活に失敗してフリーターをしていた時の世間の目だったり、そういった一見小さな小さな要素が、いつの間にか心の奥底に無意識に沈殿していて、ワイヤーのようにガチガチに僕を縛っていたんじゃないのかと。それが今回の病気によって“生きづらさ”という形で発露したんだとふと思ったんですよね。
僕は上に記した「〇〇じゃないとダメ」いわゆる“べき”から外れてしまった自分に負い目を感じていたんです。
さらに、インターネットやSNSで、他人の”幸福”と自分の現状を比較してしまうのも悪いクセでした。
同世代はどんどん世の中で活躍している。どんどん発信している。なのに、俺は家にこもってゲームばかり。
その鬱々とした気持ちで、足場は徐々に狭くなり、居場所がなくなるような気持ち。息ができなくなる。溺れゆく感覚に似ていました。
でもですね。
いざ、「主夫」や「病気で退職して今は肩書なんてないんですよー(笑)」って開き直って話してみると、みなさん「面白いですねー!」って言ってくださって。「男だからこうする”べき”」なんて言う方は誰もいなかったんです。これで気持ちがめちゃくちゃ楽になってですね。
https://note.com/ijichi/n/n059d25d34190
https://note.com/ijichi/n/n7c7692699d40
なるほど。こういう生き方もあるんだな、と今まで抱えていた“生きづらさ”が解きほぐされるような気がしたんです。
“べき”に縛られない生き方。生活。”幸福”の一つの形だな、と。
もしかしたら、僕のように「固定観念」に縛られて苦しんでいる人がいるかもしれない。世の中で固定化された”幸福”の形に苦しんでいる人がいるかもしれない。
そんな人たちに「こんな生き方、”幸福”の形もあるんだ!」って勇気が湧いてくるような企画をしたいと思いました。
そんな理由から、『幸福論ノオト』を思いつき、立ち上げました。
誰しもが心の奥底に持っている“幸福論”に触れて、”幸福"について俯瞰した視点から見つめ直してみるのが狙いです。
すみません。長くなりました。
早速、第一弾に、Webメディア『すきだよ』を企画されている、ムラオユイさんを取材させてもらいました。
「結婚と幸福」についてインタビューです。
インタビューして欲しい!喋りたい!という方もぜひお声がけください!
きっと泣いて喜びます。