「人類みなアトツギ」は、どう生まれたのか。── 応縁堂 小野寺亮太、2年後の自己分析

2026.09.03

ニソクノワラジ

2年前にも、彼に話を聞いたことがあります。あの頃の小野寺亮太さんは、「公務員をやりながら複業もしている人」として紹介されることが多くありました。

改めて、問いかけました。「一番変わったことは?」

「法人を立ち上げたことですね」

一般社団法人応縁堂。アトツギラボ、アトツギ縁日、そしてこの春に始めたばかりの学生向けコミュニティ。肩書きは、確かに増えていました。けれど、話を聞いているうちに、それ以上に大きく変わっているものがあることに気づきました。

PROFILE

一般社団法人応縁堂 代表理事 小野寺亮太(おのでら・りょうた)

1990年京都生まれ滋賀育ち。飲食店の3代目として生まれるも、大学卒業後は行政マンに。福祉、観光、青少年育成などの担当を務める傍ら、「京都市未来まちづくり100人委員会」「京都をつなげる30人」など、社会課題や地域課題の解決に向けた共創プロジェクトに多数参画。ライフワークとして「アトツギオタク」を名乗り、2024年に京都・滋賀を中心としたアトツギコミュニティ「アトツギラボ」を立ち上げ、2025年5月に一般社団法人応縁堂を設立。2026年には、全国初のアトツギ学生のコミュニティ「ユースアトツギラボ」を立ち上げる。「人類みなアトツギ」を提唱し、「アトツギプレナーシップ(継承者精神)」の普及促進を行う。主宰する「アトツギ縁日」は2年連続で京都市輝く地域企業表彰未来づくり貢献賞を受賞。フリーマガジン「ハンケイ500m」でコラムも執筆中。

家業は嫌いじゃないけど、ここで働くかって言うと違うな

――お店を継ぐという選択肢は、はじめからなかったのでしょうか。

嫌いではなかったんです。忙しい時は手伝いに行ったりもしていましたし、お店の人にも可愛がってもらって。だから、お店自体が嫌いという感覚はないんです。

ただ、家は観光地の門前で、休みなく働く商売でした。祖父が創業者で、父が二代目なんですけど、家族でしょっちゅう喧嘩していて。ファミリービジネスあるあるだと思うんですけど、それを見ていると、喧嘩しながら働きたくないな、とはやっぱり思うんですよね。

嫌いじゃないけど、ここで働くかって言うと違うな。そういう感覚でした。だから自分の中で、家業は最初からキャリアの選択肢に入っていなかったんです。

――なるほど。当時のお父さまとのやりとりで、印象に残っていることはありますか。

長男なので、一応継がなくていいのか聞いたことがあるんです。そしたら、継がなくていい、好きなことをやったらいい、と。ただそのとき、「公務員になってもいいけど、公務員になるなよ」って言われたんです。

これはつまり、公務員に染まるなよ、というメッセージだったんですよ。それが自分の中で、一つの軸になる問いになって。染まらないためにどうしたらいいのか、というのはずっと持っていた問いでした。答えとして出したのが、なるべく外の人と関わる、ということでした。公務の中だけで生きていくと、染まっていくのは目に見えていたので。その結果、色んな出会いやご縁があって、今の後継の世界に入っていったんです。

――今振り返ると、お父さまはどんな存在ですか。

あの時、自分から父にキャリアの相談に行きました。父は「好きなことをやったらいい」と言ってくれました。

家業という選択肢に縛られずに、一旦は自分の道を進むことに後押しをしてくれたことには感謝しています。

僕、元々コミュニティが好きなタイプなんですよね

――ご自身の背景には、どんなルーツがあると感じていますか。

祖父が創業者で、すごく人に慕われる人だったんです。飲み会の席でも、誰かが必ずお酒を注ぎに来るような。飲食店の他にもPTA会長とか、色々な役を任される、そういうタイプの人間で。僕、結構おじいちゃん子で育ってるんですね。

うちの父親も、そういう役をやったりとか、わりとリーダーシップというか、人の上に立つというか。なんとなく、そういう家柄というか。僕も長男なので、なんとなくそれは受け継いでいて。おじいちゃんお父さんを見てきて育っているので、どちらかというとリーダーシップとか、新しいことを始めてみるとか、結構そういう環境で育ってきたところがベースにあるんです。

なので、なにかを立ち上げたり、コミュニティを作ったりするっていうのが、僕元々好きなタイプなんですよね。結構ベースには、そういう僕なりの生きてきた背景があって、今のこういうコミュニティが成り立ってるかなと思ってます。

あれ? 僕たち人間って、みんな後継ぎじゃね?

――小野寺さんは「継ぐ」か「継がないか」ずっと、その二択で考えていたんですか?

そうですね。継ぐか、継がないか。結構、究極の二択やと思うんですよね。ずっとそう思っていました。

でも、アトツギラボを始めてから、継ぎたくても継げなかった人や、あえて継がなかった人など、本当にいろんな人に出会ったんです。そこで初めて、継ぐことって本当に二択なんだろうか、と思うようになりました。

じゃあ、家業に入っていない僕は、後継ぎではないのか。そう考えたとき、家業に入っていないから後継ぎじゃない、というのはおかしいな、と思ったんです。

家業に入ることだけが継承ではない。家業との距離感は様々で、色んな関わり方、色んな継承の仕方があることに、だんだん気づいていきました。

最初は、究極の二択だと思っていました。でも、継げなかった人も後継ぎ、継がなかった人も後継ぎだと考えたときに、最終的には「あれ? 僕たち人間って、みんな後継ぎじゃね?」ってなったんですよね。そこから、「人類みなアトツギ」という言葉に行き着きました。

君は何を受け継いでいますか?

――「人類みなアトツギ」その問いは、今どこに向かっていますか。

もちろん、プラスもマイナスも含めて受け継ぐのが後継だと思っています。会社を残したい、創業者の思いは受け継がないといけない。血縁関係の後継なら、借金があっても、死に物狂いで頑張ってきた親の姿を見ているから、なんとかしなきゃと思う。根底にあるのは、やっぱり想いの部分なんじゃないかと思うんです。

個人的には今、教育の部分をやりたいなと思っていて。アントレプレナーシップ(起業家精神)の授業って最近増えているじゃないですか。それも大事なんですけど、僕は人類みなアトツギ精神、これを「アトツギプレナーシップ(継承者精神)」って呼んでるんですけど、こういう問いかけをもっと教育的にやった方がいいんじゃないかと思っていて。

君は何を受け継いでいますか。君は何を未来に残したいですか。家業がある人は家業でもいいし、家業がない人でも、親から受け継いでいる何かがあるはずなんです。身近なところから考えていく訓練をすると、地域のお祭りや地蔵盆がなくなっていくこと、空き家が増えていくこと、そういう「受け継ぐ」ということに、だんだん敏感になっていくと思うんですよね。

その考えの延長で、この4月から、家業を持つ学生のコミュニティを立ち上げました。全国でも初めての取り組みです。今、家業に戻った後継ぎのコミュニティを作っているので、そこにいる先輩たちが、10年後、今の学生が家業に戻ってきたときに相談に乗れる。そんな土壌ができてきています。そうやって10年単位のサイクルを、今作ろうとしているんです。これが、僕にとって本当の意味でのエコシステムだと思っています。

2年前、私は別の小野寺さんを見ていたような気がします。

あの頃も今も、彼がやっていることの中心には「継ぐ」という言葉があります。ただ、その言葉の意味は、この2年で確実に姿を変えました。継ぐか、継がないか。その二択の外側に出て、「僕たちはみんな、何かのアトツギなんじゃないか」というところまで歩いてきたのです。

活動は変わりました。エコシステムができ、学生のコミュニティができ、行政や金融機関との接点も増えました。でも、私には、変わったのは活動の量ではなく、小野寺さん自身の問いの深さだったように思えました。

一般社団法人応縁堂の活動については、こちらをご覧ください。

https://ouendo.jp/

 

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